「何も起きていない」のに、なぜ怖い?
今回のワル読で取り上げたのは、『リミナルスペース――新しい恐怖の美学』。
誰もいない廊下、閉店後のショッピングモール、夜の学校、地下通路――。
そこには、幽霊も殺人鬼も登場しません。
あるのは、静寂のみ。
だから、怖い。なぜか、怖い。
参加者同士のディスカッションと湯山玲子さんのレクチャーを通して、
シュルレアリスム、デヴィッド・リンチ、ベイパーウェイヴ、『紙葉の家』、『バックルーム』、都市や建築まで、「リミナルスペース」という新しい恐怖の美学を掘り下げました。
「境界」にある空間
「リミナル(liminal)」とは、境界や移行状態を意味する言葉。
廊下、階段、地下道などは、どこかへ向かう「途中」の場所です。ところが人間が消え、本来の目的まで失われると、見慣れた空間が突然奇妙なものに変わります。
湯山さん曰く、
「自分と空間との関係が、何かによって切られてしまう」。
この宙ぶらりんな感覚が、リミナルスペースの不気味さにつながっています。
代々木会館――「扉」の向こう側
読書会はそれぞれのチームで議論した後に、意見共有タイムへ。
そんな中、あるワル読メンバーさんから紹介されたのが、かつて代々木駅前にあった「代々木会館」。
【画像:夜の代々木会館】
夜の代々木会館(2012年)。Photo: Guwashi999 / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
あの、人気テレビドラマ「傷だらけの天使」のロケ地としてもその筋の方々には有名だったスポット!
古びた雑居ビルを上っていくと、次第に人気がなくなる。
暗い階段、閉ざされた扉。その先へ進みたいような、進んではいけないような感覚――。
なんと、2008年当時にMixiへ投稿していた写真も紹介されました!
ここで湯山さんが注目したのが「扉」です。
扉は、こちら側と向こう側を隔てる境界。普段は意識しない廊下や階段、扉も、見方を変えればリミナルな装置になります。
怖いのに懐かしい――“weirdly familiar”
もうひとつのキーワードが、“weirdly familiar”――訳すると「妙に馴染みがある」。
1990年代のショッピングモール、郊外のファミレス、昔のゲームの3D空間、学校の廊下……。
初めて見るはずなのに、「昔ここに来た気がする」。
リミナルスペースには、恐怖、懐かしさ、寂しさ、安心感が同時に存在します。
この矛盾した感情こそ、人を惹きつける理由のひとつなのかもしれません。
デ・キリコ、リンチ、そして「名付けること」
湯山さんのレクチャーは、美術史や映画史へ。
誰もいない都市を描いたデ・キリコの絵画、日常が突然不穏なものへ変わるデヴィッド・リンチの作品――。
現在「リミナルスペース」と呼ばれる感覚は、以前からさまざまな作品の中に存在していました。
重要なのは、そこに「名前がついたこと」。
「あれもそうだったのでは?」
「これも同じ感覚では?」
と、別々だった作品や体験が一本の線でつながります。
「リミナルスペース」という言葉そのものが、新しい美学を発見するレンズになっているのです。
【🖼️参考作品】
ジョルジョ・デ・キリコ《愛の歌(The Song of Love)》1914年
無人の建築空間、長く伸びる影、脈絡なく置かれたモチーフ。
現在「リミナルスペース」と呼ばれる感覚と重ねて見ることのできる、デ・キリコの形而上絵画です。
作品画像・解説:The Museum of Modern Art(MoMA)
巨大な空間は、なぜ人を圧倒する?――クレムリンと権力の建築
レクチャーでは、クレムリンや赤の広場のような巨大な政治空間にも話が広がりました。
巨大な広場や建築の前に立つと、人間の身体は急に小さく感じられます。
湯山さんが面白く指摘していたのは、こうしたスケールが単なる「大きな建物」の問題ではなく、権力と空間の関係にもつながっていること。
国家的・記念碑的な建築では、個人が空間を自由に使っているというより、巨大な空間の側から人間の位置を決められているような感覚が生まれることがあります。
リミナルスペースの不安も、こうした「自分を遥かに超越した空間そのもの」への感覚と重なります。
人が消えた巨大な広場や建物は、日常的な尺度を失い、空間そのものが前面に出てくるのです。
この話から、ブルータリズムやモニュメンタルな建築へも議論が展開。
リミナルスペースを「無人の廊下」の美学だけでなく、身体・建築・権力のスケール感から考える視点が加わりました。
【画像:赤の広場から見たクレムリン】
赤の広場から見たクレムリンの壁とレーニン廟。Photo: Юрий Д.К. / Wikimedia Commons / CC BY 4.0
🏢 参考|ブルータリズム(Brutalism)
1950〜70年代を中心に広がった建築の潮流。打ち放しコンクリートなど、素材そのものを露出させた仕上げや、巨大で彫刻的な構造、反復する幾何学的な形態などを特徴とします。
『シャイニング』――ホテルそのものが怖くなる
映画の話では、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』も登場しました。
舞台となる巨大なホテルには、長い廊下、同じような扉、無人のロビー、幾何学的なカーペットなど、後から見ればリミナルスペース的ともいえる光景が繰り返し現れます。
人がいるためのホテルなのに、人の気配が薄れた瞬間、建物そのものが異様な存在感を持ちはじめる。
さらに話題になったのが「音」です。
古い時代のダンスホールを思わせる音楽が流れることで、現在のホテルに、そこにはもう存在しないはずの過去が重なってくる。
懐かしいのに不穏で、どの時代にいるのか分からなくなる感覚です。
空間だけでなく音楽もまた、現在と過去、生者と記憶の「あいだ」をつくり出す。
『シャイニング』の怖さは、このあと話題になったベイパーウェイヴやThe Caretakerにもつながっていきました。
「音」にもリミナルスペースがある?
話題はベイパーウェイヴにも広がりました。
古いBGMや音源を引き伸ばし、ループさせ、劣化させる。湯山さんからはMacintosh PlusやThe Caretakerの作品も紹介されました。
🎧 Macintosh Plus|『Floral Shoppe』
🎧 The Caretaker|『Everywhere at the End of Time』
昔聞いたような気がするのに、思い出せない。懐かしいのに、不安になる。
リミナルスペースは「場所」だけではなく、記憶と現在のあいだに生まれる感覚とも考えられます。
コロナ禍で現実になった「無人の都市」
湯山さんが転換点として挙げたのが、コロナ禍。
人が消えた渋谷や銀座。本来なら大勢の人がいるはずの都市から、人間だけが抜け落ちました。
建物も道路も看板も同じなのに、人がいないだけで街が別世界に見える。
世界中の人がこの異常な都市体験を共有したことも、リミナルスペースの感覚が広がった背景にあるのではないか、という話になりました。
2020年4月19日、緊急事態宣言下の日曜昼間の渋谷スクランブル交差点。Photo: Asanagi / Wikimedia Commons / CC0 1.0
『バックルーム』と「空間」のホラー
現代のリミナルスペースを象徴するのが『バックルーム』。
黄色い壁、蛍光灯、無機質なカーペット。誰もいない。そして、歩いても歩いても終わらない。
さらに話題はマーク・Z・ダニエレブスキーの小説『紙葉の家』へ。
物語では、家の外側と内部の大きさが合わず、存在しないはずの扉や廊下が現れる。
「廊下を進めばどこかへ着く」「階段を上れば上階へ行く」
という日常のルールが崩れた瞬間、空間そのものがホラーになります。
📖 参考作品|マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の家(House of Leaves)』
2000年に刊行された、アメリカの作家マーク・Z・ダニエレブスキーによる実験的小説。
『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』では、「第3章 拡張世界へ」で登場。
「観客」ではなく「目撃者」になる
ファウンド・フッテージの話では、湯山さんから「目撃者感」というキーワードも。
誰かが撮影した映像が「発見された」という体裁で見せられることで、私たちは安全な場所から映画を見る「観客」ではなく、その場に居合わせた「目撃者」に近づきます。
リミナルスペースと組み合わさることで、まるで自分自身がその空間を歩いているような恐怖が生まれます。
🎥 参考|ファウンド・フッテージ(Found Footage)
「誰かによって撮影され、その後発見された映像」という設定で見せる映像表現。
手持ちカメラや監視カメラ、ホームビデオなどの映像を使い、まるで実際に起きた出来事の記録を見ているような感覚をつくり出します。ホラー映画では『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などが代表的な作品として知られています。
「あの変な感じ」には名前があった
シュルレアリスム、デヴィッド・リンチ、ベイパーウェイヴ、『紙葉の家』、ファウンド・フッテージ、『バックルーム』、コロナ禍の無人都市――。
一見バラバラな文化現象が、「リミナルスペース」という言葉によってつながっていきました。
怖い。懐かしい。寂しい。落ち着く。ずっと見ていたい。
名前のなかった感覚に名前がつくことで、作品だけでなく、自分自身の記憶まで違って見えてくる。
「知らないけどなんとなく懐かしい…どこか寂しくて不気味」
「この感覚はリミナルスペースというのか!」
そんな発見のある読書会となりました。
次回予告 📣
10月21日(水)19:00〜|課外活動「ベルカント王国」
「オペラの美声でロックを歌っちゃいます!!!」
代官山で開催します。
10月29日(木)20:15〜|村上春樹『夏帆』
次回のワル読。オンライン(Zoom)開催です。
11月26日(木)20:15〜|「東京のうた」
オンライン(Zoom)開催。詳細は改めてお知らせします。







